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マンネリズムという不名誉な名で永くルネサンスの模倣の時代として評価されてこなかった1520年頃から16世紀末の美術・建築様式。「創造性を失った芸術」と言われたそうで、人体表現では体を無理に引き伸ばして誇張したり、不均衡な構図や派手な色使いなどルネサンスの理想とは縁遠い物として遠ざけられていた時代。

この否定的な評価が今世紀の美術史家等によって再検証され、マンネリどころか「危機の時代の文化」として、ルネサンスの調和と秩序の人間賛歌から、不安と矛盾の危機的状況へと絵画が建築が人間が解体されていく歴史の特異点として蘇るのだから歴史は面白い。

人間社会の非合理性や不条理や宗教改革などが色濃く影響している当時の16世紀人に明確な批判精神があった訳ではないだろうが、その時代を反映した様々な創造物が生み出されて行った事実は、現代の我々が生きている今こそマニエリスムの時代と言っていいのかもしれない。不確実で破滅的危機(戦争・核)、人間存在の内的外的危機は16世紀の比では無いだろうからである。

もっともポスト・モダンなんて言い方もあるけど、遠い将来、今はどんな時代と呼ばれるのだろう。美術史家の歴史の「後付けの解釈」を待っている訳にはいかないでしょうけど。

鎌倉時代の仏師の気迫に触れて来た。

九州国立博物館 京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ(2019年4月23日~6月16日)

門外漢なる故、仏像の制作技法には疎く、調べると驚く事ばかりだったが、木彫寄木造り(鎌倉)以前の飛鳥、天平像は溶かした青銅を型に流し込む鋳造像、奈良時代には漆と木粉を練り合わせものを塗り固め盛り上げ造形を施していく脱活乾漆法が主流で、鎌倉以後は漆が高価であった事もあり木彫の寄木造が巨像制作や分担分業も可能な事から世に広まっていったらしい。技法の難易度では逆の歴史を辿った様にも見えて面白い。有名な阿修羅像(興福寺国宝館)も脱活乾漆法で造られ、非常に個性豊かで仏師の自由意志が乗り移ったかの様な佇まいは生身の人間の様で圧巻なのだが、それを可能にしたのが漆を自在に操れたこの技法なのかもしれないと思うと仏像の歴史の中で造り手の思想も技法と共に変質していったという事なのか。鎌倉以後は時の権力とのせめぎ合いの中で民衆信仰の対象であり続ける様式美(イコン化)が開花していく。

仏教伝来の最初の仏師魂は技巧の中に潜んでいると勝手に想像してしまった。

メゾチントは目立て作業がなければ成り立たない。その労力たるや尋常ではない。しかも均一の目地(刻目)を人力で施すのは熟練技術と並外れた根気が必要で非常に厄介な作業。目地粒子の緻密さが階調の豊かさ深さを決定づけるとなれば尚の事、極めて重要な手仕事作業。しかも削りに失敗すれば修復は難しい。メゾチントは当初、油彩画の複製や書物の挿絵などに使用され写真の様な表現が出来てしまうので、より緻密さを追求していったのは必然ではある。技術は後から付いて来る、と言っても私などはとても到達できない世界で、なんとか使える情けないレベルです。半世紀前からこの作業を機械にやらせようと電動下地製版機を開発されている版画研究室(家)もあり、版全体に均質の孔が砂目状に穿たれ、かなりの完成度を誇るらしい。だが無い物ねだりなので人力で頑張るしかない。

苦労して仕上がったこの下地(原板)の深さ0.2ミリから0.3ミリ程度の孔に漆黒の闇と豊かな階調とマチエールが潜んでいると思うと特別な名で呼びたくなる。


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2018.8 Mezzotint考 Copper engraving        2021.7 tsui no tanka

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