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世界史に深く刻まれる2020年のコロナ禍。

日本中の「戦争を知らない子供達(北山修)」が初めて国家を体現させられた事態でもある。これほどの世界規模でロックダウンが進行していく様を目の当たりにして、この世界を記録・記憶し記述すべきと思うのは私だけではあるまい。最前線に立たされた方々には傍観者の感想だとお叱りを受けるでしょうが、短歌で歌詠人の真似事をしている小生も詠まずに居れない不安や不穏、空気を今を生きている身から吐露させてもらう。コロナ歌。


□朝が来て変わらぬ空を染め上げる生き延びて見る空は青いか

□億年も宿主探し彷徨いて全能は誰教えるために

□だがしかしもしもの話終わらない世界の今が消えて無くなる

□記述せよ世紀に深く刻まれた地滑りのよう時代の裂け目

□人間がいない地球の物語最後を看取る眼差しも無く

□あの日から壁に張り付き息を止め誰もわからぬ結末を書く

□だとすれば風を背にして舵を切る逃れるために渚を目指せ 

□瑕疵ありと悔やみ蔑み吊るされる自然の裁き人間だけが    

□知らぬまに夢のつづきは断ち切られいつもの朝が来ることもなく 

□手招きの見知らぬ影に付いてゆく命の代わり差し出せと言う

□だから今こうして空に憧れて羊のように泣いているのだ

□目覚めると眩しくまぶた射るひかりガラスの肺を満たしておくれ

□水面に顔だけ出した僕たちの呼吸の泡が浮かんでは消え

□午前4時つかえた胸の雨だれがみぞおち深く沈むのを見た 

□結末を呪文のように聞いてくる生きているのか死んでいるのか

□いつまでもまとわりついて離れないマスクで隠す笑みも怒りも

□かすれゆく視界の隅に見え隠れシュノーケルから吐く泡にみえ  

□身を潜め寄生の罠をやり過ごす今度出会えば取り憑くされる

□悟られず擬態の森にうずくまる振り向きざまにウイルスの舌

□奴はもう人のかたちで浸み込んで私を名乗る指図通りに    

□地上からモールス信号打ち止まず応えるはずの明日が途切れて   

□息を継ぎ満たした肺で浮き沈み水面目指すチューブの中で

□眠れない喉に住みつく誘蛾灯(ゆうがとう)夜を沈めて息さえ出来ず

□先にゆく夜の渇きに吸い取られ手なずけられたお前を置いて

□前触れか赤一色の自画像に赤月溶かし塗り付けた紅

□立ち眩みかざす手のひら逆光に得体の知れぬ黒点が舞う

□肺呼吸開いた胸が透けて見えオブラートの膜浄化されずに

□寄る辺なく世界の隅でうずくまる忘れ去られて影さえ出来ず

□気づかずに途切れた日々を生きている明日来ぬ代わり繰り返す今日

□もう今は葉擦れが知らす前触れを聞こえぬふりでやり過ごすしか

□今宵また脈打ちうねるゴム製の肺とは知らず抱いて寝る夜

□違いない千年経っても同じことそうとは知らず明日を夢見た

□手探りで荊棘(いばら)集めて夜を編むためらい傷に許しを請うた

□海の底淡き憧れ抱きしめて潜んでおれば病むこともなく

□本当に終わりなのかとのぞき込む幕切れの無い夜がそこまで


頭部や手足のない「胴体」という意のトルソ[torso]。古代ギリシア・ローマ時代の彫刻、建造物がルネサンス期に数多く発掘されたが、その多くは腕や手足などが欠けた不完全な状態であった。が、その未完のままの造形に魅了され優れた造形美を見い出した当時の芸術家たちは、それを人間復興の模範とし大いに想像力をかき立てられた。

発掘による破損、欠損であり、意図しない偶然にもかかわらず、その完成度は圧倒的です。

内面を最も外部に発露する顔・表情が無くとも胴体だけで強烈な存在感を持ち、しかも部分が全体を連想させるからではなく部分そのもので完成しているトルソ。もし『ベルベデーレのトルソ(紀元前1世紀の大理石彫刻)』や『サモトラケのミケ(紀元前190年頃・発見は19世紀)』に頭部や顔の表情や両手を付け足しても陳腐さが付きまとうだけだろう。いわば部分が全体を纏(まと)い凝縮され昇華した存在。切り取られた存在だけで成立するトルソには別の美学があるとしか言いようがない明確な主題を放つ迫力がある。

そしてこのトルソに際立った特別な感動を覚えるのは、朽ち果てた滅びの美学などは突き抜けて、否応なくそこに精神性を見出してしまうからではないか。漆黒の闇から浮かび上がる精神の「かたち」とはこの事かと思わせるからではないかと思っている。

宝石のような言葉・文章に出会う事がある。

もっとも学識、読書量の劣る身には星の数ほどある書物との出会いの中で、それは隕石に当たる程の奇跡的出来事であるに違いない。人生を変えうる程の言葉や知識や智恵で世界は溢れているはずなのに、知らないだけなのである。たまたま出会った澁澤龍彦(1928年-1987年)の画家ルネ・マグリット(1898年-1967年)についての論考がある。

「マグリットのタブローにみなぎった不思議な静謐の印象は、あえて言えば、時間がぴたりと停止し、すべての物体が物体同士の親しい有機的な関連を失い、意味のある生きた自然が無意味なばらばらな自然と化する一瞬の、ほとんど永遠のそれに似た、おそるべき静けさの印象である。たとえば世界の終りの日にも、いつもと少しも変らず、あんなに晴れ晴れとした青空に、あんなに白い雲が浮かんでいるのかもしれない、と私たちは思ってしまう。そんな永遠の青空や白い雲を、マグリットは好んで描くのである。しかもこの永遠の青空は、まさに世界の終りの日であるが故に、一瞬にして消えるかもしれない虚無をはらんでいるのだ。(幻想の画廊から)」

マグリットの「大家族(海岸の水平線に巨大な鳥が翼を広げ空の雲と一体化した様な)」という有名な絵が浮かんでくるが、今までのシュールレアリズムの解釈にはない文学者として捉え直した名文と言うだけでなく、ここには世界の意味を知ろうとする意思で満ち溢れた感性が、永遠や一瞬を眼前に捉えてイメージしてくれたという感動があるのです。一枚の絵から(マグリットが意図したか否かでは無く)生まれる世界の謎の手掛かりを言葉に依って表現する「謎解き人」としての渋澤文学の凄さに改めて敬服した次第です。

2018.8 Mezzotint考 Copper engraving        2021.7 tsui no tanka

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